『鬱憤』の湖を潜る

今いちばんオススメの作品は?と聞かれたら私は迷わず『鬱憤』と答える。
よかった。とてもいい作品だった。『鬱憤』に出会わせてくれてありがとうAぇ! group。

と妙な語り口調で始めてしまったが、THE GREATEST SHOW-NEN 第16回公演『鬱憤』めちゃくちゃよかった!!!!!! ということを長々書きたいと思います。

もし番組やAぇ! groupのことを知らない方でうっかりこれを読んじゃってる人は興味あればあらすじ等々公式HPを見ていただいて。

www.asahi.co.jp

ほんと全力で方々にオススメしたいのに現時点でこの『鬱憤』という作品を最初から観る方法がないのがとても残念なところ(※1)。一応原作のダイジェスト動画貼っておきます。

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ただそもそもグレショーという番組そのものがAぇ! groupをトンデモエンターテイナーにしようという大きな策略が働いてるとしか思えないような大変良い番組なので、是非いろんな人に観てもらいたいし、現在悔しくも関西ローカルなのでできれば全国放送お願いしたい……!(内容改変とかせずそのままの雰囲気で、ゴールデンとかにならなくていいから深夜帯のまま、全然遅れ放送でいいのでどうかそのまま全国に!!!笑)

tver.jp

※1 これを書き始めた当初はそうだったのですが、23年4月現在、なんとめでたく『鬱憤』再演決まったそうです!! 行きてぇ~~~

 

ここまでで500字余り費やしていることで察してほしいんですが、ここから先ほんとに長いです! トータルで17,000字とかなので、どうぞゆっくりのんびり頑張って(?)読んでいただけたらと思います。目次とか器用なことできなくてすみません、地道にスクロールしてください。

①まず、それぞれの回の感想を視聴当時のメモを元にまとめたもの。余談もちょこちょこ。

#1 1/28放送分(稽古過程)
ミュージカルではない「音楽劇」という聞き慣れないジャンルの本作品。グレショーはほんといつも新たな学びを与えてくれる。通算16公演目でも新ジャンルに出会えるって演劇って奥が深いなと思う。特徴的かつ面白いなと思ったのが「登場人物以外が(他の人物の心境を)歌う」シーンが存在すること。BGMがバックグラウンドではない形で存在するみたいなことかな? 指導の時にちょろっと歌ってるだけでもわかる藤井さんの歌のうまさにびっくりした。作家さんじゃないのこの人!?(のちに知ったところ、役者として舞台にも出ている多才な方でした。)
Aぇ! group6人でインチキ商品を考案しつつ偉い人を予測していくエチュード、商品をすぐ思いつける6人の頭のよさとまさかどくんの部下に飲み物持ってこさせる仕草を思いつける発想力にすき……てなった。(公式Twitterの未公開映像で最後割とまともな商品出しちゃう晶哉ちゃんが可愛くてまたすき~~!ってなった。)

タイトルにもなっている「鬱憤」、言葉の意味としては「心に溜めている感情」。どちらかというとマイナスなイメージのある言葉だと思うのだけど、それがどう発散されるのか? そもそも発散に向かうのか、押し込めるのか。コロナ禍が静かに終わりに向かいつつある今だけど、全て元に戻るわけでもあの時間がなかったことになるわけでもない。そういう、ある種今を生きてる人たち特有の共通感情を形にして見せてもらえるのかなと勝手に期待しておく。

#2 2/4放送分(第一話)
恋人で同棲中の佑理と優弥。家事の諸々を「やってくれる?」と、生活を共にしている人同士の会話が可愛い。糸電話で会話しながら、少し離れた場所から同じ光を見る、消える瞬間を共有する。「俺たち以外にもいるんだね、人類」。世界に2人だけのような時間。ウイルスの蔓延する世界で、人に会えない世界で、1人じゃないという救い。そんな相手から告げられる、そんな相手に告げる、「熱、出てきちゃった」。不安と不満と焦りと切なさの伝わる佐野晶哉の声色たまらん。
ここで劇中歌1曲目の『糸電話』(余談ですがAぇ! group6人の声の相性というかハーモニーめっちゃ“良ッッ!”ですよね……)

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離れれば近づく、糸を伸ばすことで聞こえる声。なのに「張り詰めた糸」「聞こえなくなる」と歌う。「留守電聞いたよ 怖くて出られなかった」からの「次は出るから またかけてきて」、ここの、まだ未来の約束をしたい関係を続けたい気持ちと、またかけてきての受け身感から出る微かな怯えみたいな感情表現がすごい。来るかも変わらない「次は」を何度も繰り返してるのもまたこの希望を見出したい気持ちとどこか逃げたい気持ちのないまぜ感がよくわかる……(とこの放送当時は思ってましたが、話が進むごとにこの歌の解釈も少しずつ変わっていくのです。のちほど書きます)。曲が流れている中、糸電話の糸に絡められる佑理は縛られているようにも、守られているようにも見えた。
このシーンはいろんな人がいろんなところで別々の動きをしていて(ドキュメンタリーパートでの解説曰く、人々がそれぞれの生活を送っている様子とのこと)、定点カメラで全体映像を視点を変えて何度も観たすぎる……! テレビや配信で制作側が最も見せたい人(顔)をしっかり観られる良さはもちろんあるけど、自分の見たいものだけを見られるのは生の観劇の良さだなと思う(とはいえ実際の舞台では肉眼で表情まで見えるなんて人間の大きさと視力的に前列の限られた人たちだけだし難しい問題)(グレショーさんマルチアングルで円盤売ってください)
一方場面が変わって、村上宅へ遊びに行く峠と清水。新事業で3千万の車買って維持できる稼ぎを叩き出す峠悠太、普通に有能である(あと大晴くんは別名イキリストなのでこういう成金ぽい役がよく似合いますね最高)。成功した悠太の語る「誰かが一得したら誰かが一損する」、それが経済だと。儲ける方法は、「誰かの」損を「自分の」得にすることだと。(ところで余談、ここはパンデミック何年目の世界で彼らは大学何年生なんだろう? 佑理たちの会話からして“2年目の冬”は自粛期間で仕事にも出られない状況と考えると、ウイルスが少し落ち着いて「久しぶり」な友達も家に遊びに来れる程度なのは3~4年目? 書店と同時期? 悠太や倫也が休学・退学を考えるってことは卒業が目前に迫ってる4回生とかではないと思うんだけど、過去を回想した会話に「食堂」って出てくるから1回生の最初くらいは大学に行けてた? 「俺も大学進学しとけば」という台詞からして清水はおそらく高卒で働いてるはずだけど、高校にも食堂あるタイプのエスカレーター式の高校~大学とかなのかな??)
これまた余談だけど佐野晶哉の「り」の発音世界一可愛くない??

#3 2/11放送分(第二話)
工藤、佑理、清水の働く村上書店。感染対策という名目で揺らぐ価値観、経済が止まるリスクと感染リスクはトロッコ問題。「僕が逃げれば」と答える清水、その柔軟さは場合によっては褒められる才能に感じるけど、ここでは「(間違ってはないけど)やばいなお前」となる。「僕じゃないから」「人数少ないから」とあくまで主観で答える清水に対して「少数のために大多数を犠牲にするな」と“客観的に俯瞰して”の言葉を放つ工藤。もちろんどっちが正しいかなんてわからない。
それにしても工藤さん、末澤さんのもつ狂犬らしさ(?)が存分に発揮されてて良いな~~! 花岸叶先生の声色になる工藤さん超絶可愛かった。
場面変わって、一緒に暮らす佑理と優弥の家。街の灯りが減ったから見やすくなった星。前のシーンで語る月の豆知識を「知らなかった」という佑理。もしかしてこれは過去、「今は(恋人)いない」の書店が未来ってこと??(※ここほんとは「同棲の2人=2年前」「書店=2年後」という設定は#1のドキュメンタリーパートで既に明かされてたのですが私はそれを把握していなくて、物語を追いながら台詞や状況から発見していく感じでした。逆にこの作品の構成の面白さを正面から楽しめたからよかった)
月の光が地球に届くまではラグがある。星が死んでもすぐには気付けない。遠くにいると、ラグが起きちゃう。「何言いたいのかわかるけど、何言ってんのか全然わかんない」。星空は過去、今晩何食べるは未来。優弥と未来の話をしたい佑理が愛しい。食べきれなかったカレーパンを「食べていいからね」って、「一人で食べきれないものを二人で食べきった時一緒に住んでよかったな~って思う」って言う優弥、めちゃめちゃ可愛い。
検査キットを見つけた佑理の「もう糸電話おわり?」の声が嬉しそうで、佑理は優弥に会いたかったんだなと思った。そしてまた糸電話に戻ろうとする優弥に「いやなんだけど」、この台詞に佑理が優弥と一緒にいたいと思う気持ちの全てが詰まってた。検査キット後の会話はドキュメンタリーの方観てからもっかい観直すと切なさ倍増。最後かもと思いながら笑顔で抱きしめる覚悟と、どうなっても最後まで一緒にいようと決めた覚悟。近くにいればラグは起きない、「死ぬときは近くにいてよ」、自分の感染リスクや不安よりも側にいたい愛と、「死なんから」精一杯の強がりと相手を守るために遠ざける愛。留守電の最後の声を聞けてないのが切ない。ポジティブって言葉きらいになりそうだ!!!

#4 2/18放送分(第三話)
村上宅。退学届けと幼馴染である2人の過去。金持ちになりたい清水。
悠太の語る儲けるための仕組み、需要と供給の把握、誰かの損を自分の特にすること。でも検査キットの代用品にルームフレグランスは売っても検査キットの買い占めはだめとか、彼なりに「やっていいことと悪いこと」の規範がある。最初のルームフレグランスが売れちゃったからどんどん怪しげな商品になっていったのかなぁ……。悠太は自分の事業の成功が人を騙した結果だと理解していて、騙した相手が見知らぬ「誰か」のままなら友人に自慢気に語れるビジネスだったのに、その相手が親友になると途端に罪悪感が膨らんでいく。人間の人間らしさだなと思う。
3人いて、「友達が騙されてるの見てられないだろ」「友達騙してるの友達だからさ」→「誰かが一得したら誰かが一損する」の構図になるの最高!
幼い頃からの親友を騙してたことを知って悠太はビジネスをやめるのだろうか、それともこのまま突っ走るのだろうか。倫也の水素水素水素水を配って「ずっと元気でいてね」という純粋さ、こわいな~。
そして劇中歌2曲目、『立つ野は一人』。「誰かが一得したら誰かが一損する」という台詞直後に「この世は平等」って歌詞がスパーンと入ってくるのゾッとする。平等……、この世という神様の天秤の上でゆらゆらしてるみたい。

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暗闇の中のダンス、倫也が転んで清水がそれに手を伸ばして、と今の3人の状況を描いてるみたい。(公式Twitterより 転ばしてる表現は意図したものだったそう)

「ひきつけた孤独」の歌詞のところの悠太こと大晴くん、踊りながらちょっとだけ笑ってて、自分を嘲ってるようでとてもいい。パワフルなんだけど危うげで怪しくて怖い歌。
あと末澤さんの歌声はやっぱり素晴らしい。余談ですが末澤さんが過去にこの世界を辞めようと思ってたって話何度も聞いたことあるけど、もしかしたらそのままこの歌声がどこにも披露されない世界で私は一生知らないままだったかもしれないと思うと、ほんと恩人屋良くんありがとう!!! これを私は末澤さんの歌を聴くたび思ってる、もちろんタイミングやら運やら、その当時と比べたら本人の意識の変化や積まれた努力もあるだろうけど、かつてこの歌声が(本人が辞めることを選択肢にするほど)埋もれてたってほんととんでもねぇ世界だよ……。

そしてリチャくんもまじでしっかり美声歌ウマなのがAぇ! groupの層の厚さだと思いますすごい。

#5 2/25放送分(第四話)
清水の非常識が思わぬ方向に転んで実現することになった、人気作家花岸叶のサイン会を控えた村上書店。
高校のエアコン28度でひとり盛り上がる工藤さんと、「月かよ」って笑い転げる清水が重なる。この2人ベクトルが違うだけでどこか似てる気がする。
発熱した清水を心配する佑理、「風邪だから」とごまかす工藤。「今陽性者が出たら全部なくなる」、現実もそうだった。結果的にどれだけ無となったものがあったか計り知れないよなと、もう戻ってこないこの3年間を思い出す台詞。
ロッコ問題の線路に置かれる、一人の健康と会社の未来。清水は重症化するかもしれない、しないかもしれない。会社はサイン会がなくても潰れないかもしれないけど、これをきっかけに潰れて大勢が路頭に迷うかもしれない。「健康でいてほしい」「症状より責任の方が重いんですよ」清水の台詞も佑理も言葉もわかりすぎて苦しい。
そしてその流れで優弥の「いなくなった」の真実が明かされる。あんな風に、人づてに聞いたんですけど、って(ましてや「レアケースですよ」って大丈夫の根拠にされる形で)語られるのめちゃくちゃしんどい!!! でもこれがリアルだなと思ってすごいつらい……え、ほんとに優弥亡くなってるんかな?? やなんですけど???
場面変わって数日後?(数ヶ月後?)の、村上宅。悠太に水素水素酸素水を紹介する倫也。倫也の買ってた水素水素水素水を買い取ろうとする悠太。でも悠太の思うように罪滅ぼしさせてもらえない。そればっかりか「悠ちゃんが売ってるから安心して買ってるんだ」「お世話になったお返し」とまで。変なもんばっかり、と思いながらお礼の気持ちで買ってたの倫也……? 倫也が語れば語るほど悠太がずっと自分本位に生きてきたことが浮き彫りになり、突き付けられていく。ひたすらに自分の得を考えてきた悠太と、自分の損が「誰かの(悠太の)得」になれることをある意味でよしとしてきた倫也。倫也は倫也で、自分のことを「親の財産がなくなったら自分にはなんにもなくなる」という認識でいてちょっと寂しい気もする。でもきっと、もし倫也に「財産以外に僕に何がある?」と問われたら悠太は答えられないんだろうなという気がする。清水はなんか答えてくれそうだな、テキトーでも。
悠太のことを「昔のお父さんを見てるみたいで……、見てるみたいだった」と話す倫也、もしかしたら言い淀んだここに伝えたい本音があったかもしれないけど、でもやっぱり伝えない人なんだなと思った。伝えない選択は心配されたいわけじゃないという悠太の心をくみ取ったものなのか、心配以外の本音があるのか。これも鬱憤のひとつ?
大学を辞めようとする倫也に悠太が提示できる案が「学費払うよ」「これからは割り勘にするから」とお金のことばかりだったの、それは有効で正しい解決策なんだけどなんか少し悲しい気持ちになるのなんだろうな……。さっき「お世話になったお返し」だなんて言ってた倫也だけど、清水に電話していた内容からするとよっぽど倫也の方が悠太のこと“お世話”してた。それでも倫也は悠太のこと「ヒーロー」って呼ぶ。今の悠太からしたらいたたまれない。
この話の冒頭でふと、あれ3人が働いてるの村上書店? 倫也の名字、村上じゃなかった? 親が会社経営ってまさか……と大発見した気分になっていたら、最後に答え合わせが。倫也のお父さんの経営する、そろそろつぶれる村上書店。清水の「みんな路頭に迷って」の台詞がじわじわと現実味を帯びて、“みんな”の指す範囲の広さが効いてくる仕掛けこわい。
作品とは関係ないけど、ドキュメンタリーパートでちらっと映る6人のスケジュール表みたいなやつ見ると6人ともしっかり個人仕事しながらグループのレギュラー番組やって、ライブや歌番組にも出て、アイドルってすごいなと改めて思ったし、その道を選び続けてる6人に対して本当にありがとうという気持ちになった。アイドル、追う方ですらてんてこまいになるようなスケジューリングなこと結構あるので、ほんと、せめて睡眠時間がしっかりとれるスケジュールにしてあげてくれ……。

#6 3/4放送分(最終話)
「会う頻度が少なくなるだけで、会えなくなるわけじゃないから」
どこかの家の電気が消えて、知らない誰かが生活をしていることを知る。「俺たち以外にもいるんだね、人類」。あの頃と変わらないように見える景色で、世界は続いているのに、優弥はもういない。「180度変わってほしいね」なんて話したけど、きっとこんな変化は望んでなかった。
劇中歌3曲目『ひまになっちゃった』(歌詞書き起こし間違ってたらすみません)

ひまになっちゃった ひまになっちゃった
前からずっとひまだったけど
外は透明な雨 出れないや
ひまを楽しむひまがほしかった
パジャマからパジャマに着替えて アリの巣に水流し込んで
逃げ出してくノアの方舟 過ぎてく日々を数えて どうでもいい
僕を見てよ
全部ひまつぶしなんだからさ 全部ひまつぶしなんだからさ
全部ひまつぶしなんだからさ 全部ひまつぶしなんだからさ

曲中、ライトに照らされて浮かび上がる、登場人物たちが生きている姿。楽しそうに仕事中の工藤さん、直接やり返せない相手への発散をする2人、もういない恋人とのハグ。「全部ひまつぶしなんだからさ」……生きることぜんぶひまつぶし? そうかもしれない、でもそうじゃないと思いたい。
「僕を見てよ」という心の叫び、この登場人物たちの気持ちにも思える叫び。ひとりで死ぬのやだよ僕を見てよ、かもしれないし、糸電話なんかじゃなくて直接会いたいよ僕を見てよ、かもしれないし、すごいだろもっともっと僕を見てよ褒めてよ、かもれないし、親の財力じゃなくて“僕”を見てよ、かもしれないし、ほらこうして働いてる頑張ってる僕を見てよ、かもしれない。清水はなんか、ただ素直にちょっと今話してるからこっち向いてよくらいの軽さの「僕を見てよ」な気がする。知らんけど。(私は清水のことは一生理解できないと思う!)  ともかく歌詞全体の中でこの一言には他にはない強さみたいなものがある気がしていて、込められた意味の正解を知りたいような知りたくないような不思議な気持ち。
第三話で「誰かが一得すれば誰かが一損する」のあとに「この世は平等」って歌詞ぶつけてくるの、最高の皮肉だな〜と思ってたけど、ここの倫也と悠太が入れ替わった状態でいじめてきた奴の似顔絵石に書いて叩き割るシーンを観て、誰がいつ得側に回るのか損側に回るのかはわからないし、時々入れ替わったりもしながらぐるぐる回って世界は動いている、だから確かに「この世は平等」なのかもしれないと思った。自分たちを脅かす敵、いじめっ子、ウイルス。財を得た者、失った者。意図せず傷つけた人、傷つけられた人。倫也と悠太は例え立場が入れ替わったとしても“親友”のままでいられるよという希望的な見方もしてみたり。この2人の「割り勘」のやりとりも、割り勘という言葉が最初悠太から出てきた時は、“そこで「奢る」って言わない悠太の捨てきれない自分本位さ”を感じていたけど、今回は“この2人はやっと損得抜きで付き合える友達になれたのかもしれない”というようなプラスの印象になってた。「悠ちゃん」と慈しむように呼ぶ倫也と、きっと甘えたな悠太がずっと仲良しでいられるといい。(なーーんて一時は思ってたけど、とある解釈を読んで今は「村上こわい」という気持ちも芽生えております。流し見てた感想ツイートのひとつだから詳細覚えてないんだけど「これで村上は悠太の罪悪感を傘にある意味意のままに操れるってことだよね」みたいな解釈をしてたもの。それ見てから、全部知ってて商品買ってて「知ってるよ」「大事に飲んでんだわ」なんてあのタイミングで悠太に言っちゃう倫也、確かになかなかに怖い。無自覚でも怖いけど、もし自覚してたら悠太なんか目じゃない狡猾さ。思い返すと清水と3人でいたときのあのすっとぼけた「事業?」すらこわい。知らないフリがうますぎる。正門良規の底知れなさや掴みどころのなさに通ずるものがある。村上倫也こわい。)
場面変わって村上書店。エプロンをとった3人。「熱症状が出ない人もいるみたいですよ」「そんな病気どうしろって」ほんとだよな!
花岸先生が持ち込んだ(握手していた)ということは、サイン会は予定通りか延期してなのか、ともかく行われたのだろう。書店存続の起死回生の一手だったはずのサイン会が、陽性者が大量に出て倒産の決め手のひとつになってしまった? これ、もちろん清水の責任ではないし清水自身もそうとは捉えてないだろうし、結果論でしかないけど、花岸先生がサイン会をすることになったきっかけは清水で、それを成功させるために自分という少数よりも大多数の助かる道を選ぼうとしていたのに、トロッコ問題でいう「自分じゃない方」を選びたかったのに、何たる因果なのかね……。
「運がよかった」、健康なことも会社が潰れることも運だと思わないといけない、自分の努力や選択を運に簡単に捻じ曲げられてしまう。まぁ人生なんてずっと昔からそうだっただろうけど、改めて考えると何かこうアーーー!ってなるね、頑張る意味って何だ?ってなっちゃうよね、働くの辞めたくなるよな工藤さん、わかるよ。でも働くか、ってなるよな、わかる。今まで働いてた書店見渡しながら「働こ、書店で」ってなる工藤さんきっとこの仕事好きなんだろうな。ひまつぶしなんだから好きなことしてたいよな。
そして佑理に以前の発言を謝る清水。「何が正しいのか考えすぎて疲れた」、でも「元気でいてほしいよ」、佑理の優しさは優弥とすごく似てる気がする。優弥が亡くなる直前の電話、4回かかってきた電話、「出るのが正しかったのかな」とこぼす佑理。仮にそうだったとしてももう実行できない後悔色した問いかけの重さ、に対して、「それ聴いた方がいいやつっすね、一緒に聴きましょうか?」この軽さ……! いいよ清水、私は清水に救われてるよ。
糸電話に残された留守電(酸素マスクの形状が糸電話と重なってるの気付いて脱帽した)、恋人の最期の言葉。「僕が食べきれなかったカレーパン、食べていいよ」一緒に暮らしててよかった象徴のカレーパン。「ご飯食べて元気でいてほしい」自分がいなくても生きててほしい。「星の立場から言わしてもらうとさ、今僕が発してる言葉が未来の佑理に届いてると思うと、安心する」「あ、さっきカレーパン食べていいよって言ったけど、ちょっと残しといてね、帰ったら食べるから」最期のつもりのメッセージだけど、でも本当は帰りたい、佑理にまた会いたい、一緒にご飯食べて、一緒に生きていきたかった。これがこの時の優弥が伝えられる精一杯の「大好き」だったのかな。愛ってたぶんこういうことなんだろうな。佑理の「何が言いたいのかわかるけど、何言ってんのか全然わかんないよね」の泣き笑顔に、わかった元気でやるよ、みたいな気持ちが見えた気がした。一話で糸電話の糸に巻き付けられた佑理は2年間聞けなかった留守電にずっと縛られていたってことかもしれないけど、同時に優弥の愛に包まれてもいたんだと思った。糸電話は佑理を想う優弥の愛と優しさだった。そしてまた同じ歌が流れて、糸は方々にほどけてる。「時が流れていく」「波が引いてく」、一話ではなかった歌詞。変化を飲み込んで、人は生きて行く。
「泣けばいいのか 怒ればいいのか」、登場人物たち全員の思いなのだろう。ひいてはこのコロナ禍を生きる私たちの、鬱憤。
最後の最後、笑い合う2人は佐野とリチャードなのか、“また会えた”優弥と佑理なのか。「会う頻度が少なくなるだけで、会えなくなるわけじゃないから」は倫也の台詞だったけど、佑理と優弥もいつかまた会えてたらいいな。
ドキュメンタリーパートであの留守電には「自分の見ることができない佑理の人生何十年分を支える言葉」という思いが込められていたと知って、更に泣いたし、なんともやるせない気持ちにもなった。というのも現実のコロナ禍では看取ることも叶わなかった別れもあったと聞いたことがあって、時間差でも伝えたいことを残せた・受け取れた優弥と佑理のことを、こんなに切ないのに、悲しいのに、“幸せ”だったのかもと思ってしまったので。小さなことに喜びを見つけられるのは幸せかもしれないけど、自分の幸せを小さく見積もるのは幸せじゃない気がするので! でもとりあえず、全部生きてこそで、生きてればたぶん、泣くや怒るだけじゃなくて、喜びも楽しいもあるはず。こんな素敵な作品に出会えたりとかね。

……とまぁこんな感じで、とりあえず第一章(?)の話ごと感想パート終わりです! 読んでくださった方いたらほんとにありがとう!
でもまだ続くんですねこれが。ちょっと飲み物でも飲んで目薬でもさして、それではどうぞ!


②劇中歌について上に書ききれなかった感想(重複してる内容もあるかも?)

『糸電話』について
一話段階では、佑理の気持ちを歌ってるらしいこの曲の歌詞を見ながら、佑理は結構受け身な人間で、優弥と向き合うことに怯えてるのかと思ってた。相手に気持ちはちゃんとあって、まだ関係を続けたい気持ちはあるけど「またかけてきて」と委ねちゃうくらいの逃げ。「次は」と繰り返すのは先延ばしにしているようにも思えた。
けれど四話でいなくなった優弥の真実が明かされ、それを踏まえて聴くと、「またかけてきて」「次は出るから」「口にするよ次は」と繰り返し出てくるこの未来への言葉は、もう叶わぬことを知りながらすがってる気持ちだったのかと。もう次がないことはきっと誰よりもわかっているのに、わかりたくない、信じたくない。
そして最終話。全員で歌う『糸電話』には、「時が流れていく」「波が引いてく」という新たな歌詞があった。佑理の時間が、優弥からの留守電を聴けずに止まっていた時間が流れ出したのだと思った。「波が引いてく」はコロナ禍(劇中だとヒノワ禍)での制限が徐々に少なくなっていくイメージかな? 
恋人が亡くなって、職を失って、親友を騙して(親友に騙されて)、……こうして並べるとまぁ結構しんどい状況で悪い変化でしかなく思えるけど、ラストシーンの6人の顔は晴れやかに見えたし、人間なんだかんだ、生きて行くしかないんだよな、という感覚になる終わりだった。そういう作品だった。上記①で「泣けばいいのか 怒ればいいのか」は登場人物たち全員の思いで、ひいてはこのコロナ禍を生きる私たちの鬱憤、って書いたけど、そうなのだとしたら、心に溜めた鬱憤は言葉にすれば、その先は糸電話の糸のように限りある細い道筋かもしれないけど確かに伝わって誰かには届くかもしれない、って希望が見えた気もした。
改めていい曲~~~~! もう糸電話って題材が最高に天才だもんな~コナンの見た目は子供頭脳は大人の設定思いついたのと同じくらい天才だと思う(???)。とりあえずもっかい聴こう糸電話。

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『立つ野は一人』について
この曲に対する感想はほぼ上記①で書ききった感があるのですが、なにはともあれこちらもめーーーっちゃ好きです。悠太を演じた大晴くんは可愛さもある人だけど、どこかで妖しさをまとってるような雰囲気のある人だと思ってるのでほんとこの曲がぴったり。
しばらくの間歌詞の中の「この世は平等 恥ずかしげもなく」の恥ずかしげもなくだけいまいちどういう意図なんだろうとしっくり入ってこない感じがあって、改めて調べたら「厚かましく、しゃあしゃあと」の意味があると。この曲は峠の心情だから、この世は本当はそうじゃないのに厚かましくも“平等”って言われてんだからその中でズルしたって勝った方がよくね? みたいなことなのかな~と思ったり。悠太は村上と比較するとおそらく元々は“持ってない”人間であって(少なくとも本人の自覚としてはそう認識してそう)、身近にいた金持ちで性格も優しい倫也という存在に対して嫉妬や生まれによる境遇の違い、そこから派生した世の中の不平等感みたいな感覚があったりしたのかもな? それか、もしくは、せっかく儲けていい感じに幸福な人間になれたと思ったのにそれが親友を騙して得たものだと知って苦しみが降りかかってきたことに対する「結局プラマイゼロかよ」みたいな気持ちの「平等」? いろんな解釈できて面白いですね! いいよねほんとこの曲。サブスクくれ~~
あと末澤さんの歌の素晴らしさは上記でちらっと語ったけど、佐野晶哉もほんとあれよね、定期的に「君はアイドルでいいの!? その美声を生かす場はここでいいんですか!?!?(褒めてる)」みたいな感情になるよね。グループ内に末澤誠也という圧倒的な強さタイプのボーカリストがいるから、比較して佐野は『ひまになっちゃった』で見せたような美しく透明感があってどちらかというとふわっとした空気感のある歌声が持ち味の人、という印象を持たされていたけども、『立つ野は一人』で私は思い出した、彼がヤングシンバだということを――。ゴリゴリのミュージカル発声お手の物、というかむしろ元々その道のプロだということを思い出したよ……そして曲によって声質を変えてしまえるという武器を所持している末恐ろしさに気付いてしまった。そんでもって歌がうまいだけじゃなくて作曲もできるわ楽器もできるわ、何故かアクロバットまでできて船舶免許まで持ってて背も高くて笑顔が可愛い…………ハイスぺとは佐野のためにある言葉。お前はアイドルやってていいのか、いや一生Aぇ! groupでいてくれ(反語?)。

『ひまになっちゃった』について(以下、一部以前にTwitterで投稿したものと重複しております)
天才の所業。歌詞すごくない? あの頃の閉塞感とか見えない敵という感覚を「透明な雨」と表現するの天才すぎん? そのあと「アリの巣に水流し込んで」で“なんの生産性もないことをやるくらいのひま”みたいなの印象をもらったと思いきや、「ノアの方舟」でもしかしたら私たちがその“アリ”側で、神様になんの意味もなく気分で水流しこまれて方舟でたまたま生き残ってる世界なのかもって視点が変わっていく。雨→水→方舟の展開すごすぎるし、水も時も砂も「流れる」だからさ~~なんかこう同じ作品の中に存在するべく与えられた共通の雰囲気を感じ取れる気がするというかさ~、勝手にそう思ってるだけかもしれんけども(オタクは各所に勝手に共通項を見出すもの……)
そのあと「どうでもいい」でスマホぱたんと置いたみたいに画面が暗くなるイメージで、虚無や諦めな気持ち、からの「僕を見てよ」の強さ。抗い、かなぁ。あの頃ひまになっちゃった人たちは、生きるうえで大切にしてきたことを「ひまつぶし」扱いされた気持ちだったのかな~と思うと、「全部ひまつぶしなんだからさ」にはぐるぐるいろんな感情が見えてくるなと。諦めにも見えるし、雑草魂的な意志にも見えるし、毛糸の玉にみたいにいろんな思いがぐるぐるしてひとつの心の中にある感じ。(ただまぁ私個人としてはあの所謂自粛期間も変わりなく働いていて全く暇にならなかった人間なので、ひとまず当座の生活の心配はなかったけど、ちょっとひまになりたかったという思いもあったりする。だから私にはひまになったやるせなさを想像はできても本当にはわからないし、医療従事者やエッセンシャルワーカーの方々の苦労もわからない。変わらず働く日々の中で糧としていた娯楽だけを奪われ続けたしんどさもきっとそうでなかった人にはわからないだろうし、所詮、人それぞれに感情を100%理解しあえることはないのかもしれない。そんなことはコロナ禍になる前から同じだったけど、こうやってあの頃を思い出すだけでも職業や立場によって感じていたことは大きく違って、そこから根付いた価値観で人々が分断された感覚はすごくある。これまでは知らんぷりできた小さな差がコロナをきっかけに肥大して可視化されて埋まらないほどの大きな溝になってしまったような。そうして離れてしまった人が多くいるのは、どうにも切ないものだなぁと改めて思います。)

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ここまで読んだ人はよっぽどひまになっちゃってたのか、忙しい隙間に頑張って読んでくださったのか、どちらにせよありがとうございます。でも私のブログより藤井さんのnoteでも読みな?(とかこういうことを書いているから長くなるんですよねこれで100字くらいでしょ1ツイート分だよ)(でも10000字って聞くと長く思うけど72ツイート分って思ったらそんなに長くな…いこともないねまぁまぁな数だね)
それではついに最終章です。


③全体感想(まとまらないまとめ)
まず主人公である佑理について、そして優弥について。そもそも、どうしたってAぇ! group目当てでこの番組を観ているので、役と本人やメンバー間の関係性を重ねて観てしまう部分も多くあるんだけど、今回、佑理(リチャ)と優弥(佐野)に恋人同士感をちゃんと感じられたのがこの作品を観るうえですごく大きかった気がする。画面越しにも、好き同士の、愛のあるカップルなんだなってのが伝わってきた。だからこそ、その存在を、関係性を、生活を、静かに奪われた切なさが最後にドッと押し寄せてあんなにも泣けたんだと思う。2人のお芝居ほんとうによかった。2人とも普段より声が明るくて可愛くて、特に優弥の明るさと優しさと可愛さと強さ、それがミックスされたような、晶哉の発する声が絶妙だった。そして佑理の、留守電を聞いたあとの泣きそうな顔見たとき、ふわっと「愛しい」みたいな感情が芽生えて、優弥もそう思ってたんだろうなぁ、あの優弥がすきになった人なんだなぁと思った。うまくいえないけど、“佑理と優弥”がそこにいたし、2人の(もちろん6人の)幸せを心から願ってる。
グレショー版オリジナルだったらしいあのジャケットを抱きしめるシーンも言わずもがな名シーンだった。(練習風景、無言でハグする2人がなんか可愛かった)

(あとこの晶哉の「あごコツン、て置いてきたとき恋人やって思いました」のなんともいえない可愛さ)

優弥は出演時間としては少ないはずなのに、いちばんずっと舞台上にいたような気がしたのがまるで昼間は見えないけどほんとはいつも空にある星みたいだな、ってちょっとロマンチックなことを思ったりもしました。

次に清水。作中で一番状況的・心境的な変化が少なかったのは彼だと思うんだけど、いい意味でこの清水の軽さ、ブレなさ、世間の常識より自分の価値観に重きを置いて生きてる人だったのが、この正しさがわからない世界の中での救いに思えた。だけど、清水というキャラクターの筋がありつつも、工藤の言ってた「客観的に俯瞰して考えて」という台詞を佑理と話してる時に清水が言ってて、パッと見の感じはあまり変化がないように見えて清水も村上書店で働いた時間に影響を受けてる部分があって、180度とはいかないまでも5度くらいは変わってたのかな? あとこれは個人的な感覚かもしれないけど、ほんとにこじけんにそっくりだな~と。私の思うこじけん、ほぼ清水。「ひまになっちゃった」を「肥満になっちゃった」に替え歌してた、のエピソード読んだ時めっちゃ小島!と思ったし、リアル清水!とも思った。
村上書店の人たち、勝手に、工藤さん:新卒から村上書店一筋、佑理:転職組で工藤とは同い年、みたいな関係性かな~とかいろいろ想像して楽しかったのでこれからは離れて働くと思ったらちょっとさみしい気持ち。いつかしれっと清水が起業して遊べる本屋的なの作って中途採用でにうっかり工藤さん来たりしないかな~。戯言です。

工藤といえばトロッコ問題だけど、「少数のために大多数を犠牲にするな」と言った工藤と、その“少数の犠牲”が自分にとってかけがえのない大きな存在だった佑理、という対比としても描かれてたのかな。「働かないことで社会が止まるのが嫌」と疑問なく自分を社会の一員と認識している工藤と、親の財産だけが自分の価値みたいに思ってる倫也も対極っちゃ対極? 登場人物たち、対とか隣り合うとかでバラバラだけど意味を持って繋がってるんだろうな。星座みたく。原作ではもっと登場人物が多いらしいのでもっとほんとに星座みたいにいろいろ繋がるのかも。

村上倫也と峠悠太は話ごと感想のところでたくさん書いたので割愛。得た者と失った者とこの世は平等。ゼロサム理論? 『鬱憤』は経済学だったのか……(??)。全然何にも関係ないけどサイコパスまさかどと泣き顔のたいせーみたいな作品が観たい。

私はいつもグレショーの舞台は通しで観たいと思ってきたけど、この『鬱憤』に関しては話が分かれてて週を追うごとに全体像が見えてくるのが連ドラ好きとしてとてもハマったので、TV番組での企画で作られたことに感謝でした。というかこの『鬱憤』めちゃくちゃ連ドラ向きだと思うのでいつかどっかでやってほしいくらいです。2年前とか4年後とかの設定明かさずに、同じ景色の中で少しずつ同じ時系列にしては話かみ合わないな?ってなって全体像が見えてくる感じ、単体でも美しく意味のある言葉が繋がっていくと次第にひとつの絵になっていくみたいなの、モザイクアート構造とでも言おうか、もう絶対めちゃくちゃ連ドラ向き。というかただ単に私が観たい、藤井さんの連ドラが観たい。Aぇ! group主演でいつかどうか!笑

最後に。改めてこの『鬱憤』という作品、本当にすごく好きでした。私は藤井さんより年上ですが、藤井さんに対して師のようなまなざしを向けたくなる気持ち。面白い作品に出会うと、その作品として見えている氷上の一角の隠れている8割を潜って見ていきたくなる気持ちになる。『鬱憤』はそんな作品だった。潜っていろんな角度から見ていくと、いろんな発見があって、周りにはたくさんの人のたくさんの解釈があって、それを探していくのも楽しかった。思いは目に見えないけど、感じ取ったり、見つけることが出来る。人間の思いの行先とその道筋が糸電話なら、その糸はどこまでも伸びて、どれだけ離れていても、例えばあの星にだって、届くのかもしれない、繋がっているのかもしれない。人と人とが思いを抱えながら、それをぶつけあったり交換したりして、関わったり別れたりしながら生きて行くということを思った作品でした。幻灯劇場さん、Aぇ! group、グレショー、素敵な作品をありがとうございました!!!


そしてここまで読んでくださった方(いたら)ほんとうにありがとうございました。
これにて長々感想【完】!!!